いつも環七ホビーのブログをお読みいただきありがとうございます😊
今回ご紹介するグッズは、松田優作さんの1984年コンサートツアーの販促ポスターです。
● 松田優作さんの複雑な生い立ち!実は弁護士になる予定だった?
70年代〜80年代にかけて個性的な演技で人々を惹きつけた松田優作さん。
その生い立ちについて調べてみると、複雑な家庭環境で育ったことが分かりました。
◾️幼少期〜中学生時代
1949年9月21日、山口県下関市の遊郭の一角で、日本人の父親と在日韓国人の母親の間に生まれました。
父親は保護司(犯罪を犯した人や非行に走った人の更生を手伝う仕事)で、地元の長崎に妻子がいることを隠していました。
妊娠したことを知ると、逃げるように姿を消してしまいます。
母親は駄菓子屋やよろず屋で生計を立てていましたがそれだけでは生活が苦しく、
空いている自宅の2階を売春宿として貸し出して生活費の足しにしていました。
そんな優作さんの小学生時代は、クラスで一番身体の大きなガキ大将で、先生が手を焼く生徒だったそう。
仲の良い2人の異父兄弟もいましたが、中学生になってから自らの出生に気付いたことで、次第に孤独を感じるようになります。
◾️高校生時代
高校2年生の頃「アメリカで弁護士になりなさい」という母親からの命令により、やむを得ず高校を中退して渡米。
しかし言語の壁などの理由で挫折し、1年ほどで帰国して日本の高校を卒業します。
◾️大学時代〜
大学在学中に「新演劇人クラブ・マールイ」に入団します。
その後「文芸座」の入所試験に合格し、役者に専念するために大学を中退。
ひょんなことがきっかけで、テレビドラマ「太陽にほえろ!」のジーパン刑事こと柴田純役に抜擢され、一躍スターになりました。
撃たれた腹部をさわり、血に染まった手の平を凝視しながら「なんじゃこりゃあ!」と叫び息絶える殉職シーンは有名です。
実はこのシーン、松田優作さんのアドリブなんだとか!
この出演を機に「僕が在日韓国人だと分かったら、みなさんが失望すると思います」という理由で帰化申請を行い日本国籍を取得して、金優作から松田優作が本名になりました(前妻・松田美智子さんの書籍より)
亡くなるまで頑なに隠し通したことからも、当時の酷い差別意識がうかがえます。
● 松田優作さん主演の「探偵物語」のポスターもお買取りしました!
テレビドラマ宣伝用の販促ポスターです🕵️
私立探偵の工藤俊作が様々な依頼を受けて街の仲間たちと事件を解決していく物語で、1979年から1980年にかけて放送されました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
環七ホビーでは昭和レトロな俳優グッズ・タレントグッズ・アーティストグッズ・アイドルグッズをお買取りしています。
お電話・WEBのお問い合わせフォーム・ライン査定からお気軽にお問い合わせください♪